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小京都村田における観光開発の展開
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酒井宣昭(東北学院大・非常勤講師)、吉田由希子(東北学院大・学生)
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1.はじめに
日本各地には小京都と呼ばれる多数の自治体がある。小京都の概念は明確でないため,どこまでを小京都というかは定かでないが,日本の古都京都への憧れから付いた名称といえるだろう。小京都と称する自治体の多くは,京都との歴史上の関係を持ち,かつ古い景観が現在に残っているところである。その一方では,京都との歴史上の関連はないが,古い景観が現在に残り,そのたたずまいが京都に似ていることから,小京都と称する自治体もある。
1985年5月には京都市と小京都からなる「全国京都会議」が観光振興を目的として発足した。この組織への加盟条件は,@京都と似た自然景観や町並みがある,A京都と歴史的なつながりがある,B伝統産業や民俗行事があること,のうち,一つ以上を満たすことが必要とされる。2003年10月時点では54の自治体が加盟しており,それぞれ個性のある観光開発を展開している。
本稿では全国京都会議に加盟している宮城県村田町の蔵の町並みを活かした観光開発について,2003年8〜10月に行った現地調査の結果をもとに紹介する。
2.村田町の概観
村田町は宮城県南部のほぼ中央に位置し,その面積は78.41kF,人口は約13,000人の町である。村田は嘉吉年間(1441〜1444)に,伊達家の家臣である村田業朝(むらたなりとも)が一族を率いて会津地方から移り住み,村田城を築いたのがはじまりとされる。村田の地名はこの村田氏の姓から付けられたといわれている。
宝暦年間(1772〜1781)以降は,村田とその近隣地域で紅花の栽培が盛んに行われるようになった。村田は奥州街道と羽州街道の分岐点であったため,紅花の集積地として栄えた。その集められた紅花は村田商人によって上方や江戸に販売され,上方や江戸からは紅花と交換する形で古着や呉服などを買い入れていた。このようにして,村田商人は膨大な財産を蓄えていった。現在も町の中心部には,紅花の取引をはじめ,生糸や味噌醤油の醸造販売などを商いとした「ヤマショウ」,「ヤマニ」,「カクショウ」,「大養」,「カネマン」といった豪商の店蔵が残っている。
伝統産業には酒の醸造がある。1618年に山田備後(やまだびんご)が村田城主より伊達政宗に献上する酒を捜すように命じられ,山形で7つの酒蔵を駆け巡り,2つの酒樽を持ち帰って献上した。その後,山田備後は酒造りの研究を重ね,販売するまでに至った。これが村田での酒造りの始まりといわれている。
民俗行事には約800年の伝統を持つ「布袋まつり」がある。このまつりは,布袋和尚の徳をしたって,京都の山車まつりを参考にして生まれたものとされる。背丈が約2mの巨大な布袋人形を山車に乗せ,平家の若武者平敦盛が好んでいた「青葉の笛」や太鼓に合わせて,毎年10月中旬に町内を練り歩く。
3.「小京都村田」としての観光開発の展開
村田町は紅花交易を通して京都との関連が強いことから,1986年5月28日に全国京都会議へ加盟し,蔵を活かした観光振興に取り組むようになった。最初の事業は,1991年に村田町観光物産協会による「小京都むらた写真展」であったが,この当時は「小京都村田」について,町の広報誌で概要程度のことしか説明されなかったため,地域住民には受け入れられなかった。その後,蔵の所有者であり,また,紅花交易についての研究も進めている大沼氏が,長年の研究成果を『紅花と村田の一商人』として1997年に出版した。
また,大沼氏は以前から新潟県村上市などの蔵を活かした観光開発の視察を通して,村田町でも蔵を活かしたイベントを行いたいと考えていた。村田には紅花交易の時に京都からもたらされた享保雛や古今雛を春弥生に飾る習慣があるが,近年はそれを見かけることも少なくなってきていた。そこで,この風習を再び喚起させようと,他の蔵の所有者の協力を得て,各蔵に雛人形を一堂に展示する「むらた町家のひなめぐり」というイベントを1997年に行った。大沼氏の本とともに,イベントが地元の新聞やテレビなどで多く取り上げられたため,村田と京都との関連が強いことが地域住民にも広まっていった。これを契機として,翌年以降は行政も加わり,イベントの宣伝を事前に町のホームページや地元新聞などに掲載することに力を入れた。この頃に,地域住民が先導して,それに行政が協力するという観光開発の基礎が確立した。
2000年には村田町教育委員会,村田町観光物産協会,村田町商工会,行政,商店街などの協力による「みやぎ村田蔵の陶器市」が10月中旬に開催された。このイベントは「ヤマショウ」や「カネマン」などの店蔵を利用して,東北・関東地方にある45窯元の陶器の展示・販売を行うものである。また,蔵の内部も公開される。蔵は個人所有であり,観光向けに整備が進められていない。そのため,イベントの際には蔵の内部を一般公開するようにしている。商店街の個々の店舗においては,菓子店ではお茶やようかん,麹屋では味噌や甘酒,魚屋でははらこめし,酒屋では地酒の試飲などを行っている。また,地域住民側では,空地を利用しての休憩所の設置や,やきとり,焼そば,たこ焼きなどの出店も設置している。このような観光客への対応は,年々充実しており,リピーターも多くなっている。毎年47,000人前後の観光客入込があり,村田町の最大のイベントに成長している。このイベントは,4月頃から村田町のホームページをはじめ,村田町の観光施設や近隣の駅にポスターを掲示するなどの宣伝活動にも力を入れている。
2003年には村田町商工会や商店街などの協力による「蔵ingむらた祭」が8月下旬に開催された。このイベントは「ヤマショウ」や「カネマン」などの店蔵を利用して,地場産品などの販売と,蔵の内部の一般公開を行うものである。例えば,「ヤマショウ」では草木染製品の展示販売,喫茶店,おにぎり・そばの軽食の販売,「ヤマニ」では絵画,水墨画,箪笥,古着などの骨董品の販売,「カクショウ」では弘前・角館・遠野といった小京都の地場産品の販売,「大養」や「カネマン」では村田町の地場産品が販売されていた。地域住民側では,各蔵でのおにぎりやそばなどの販売員として手伝う一方で,蔵の歴史などを観光客に説明するという対応をしている。
現在,小京都に関連した観光イベントとしては,3月下旬の「むらた町家のひなめぐり」,8月下旬の「蔵ingむらた祭」,10月中旬の「布袋まつり」,「みやぎ村田蔵の陶器市」,11月下旬の「小京都むらた写真展」と,一年を通して多彩なイベントが行われている。また,「村田商人ヤマショウ記念館」や「村田町歴史みらい館」などの観光施設では,村田町の歴史を知ることができる。
店蔵は町の中心部に集中しているものの,観光施設は点在している。そのため,村田町ではレンタサイクルというサービスを行い,観光客への便宜を図っている。料金は無料で,午前9時〜午後16時までを貸出時間としている。村田町役場を終始地点とした観光施設を回る「半日観光おすすめコース」があり,それを記したパンフレットも作成している。
4.今後の課題
村田町では「小京都」という名称を活かし,蔵を中心とした観光開発を行い,観光客の誘致を図っている。観光開発の主体は地域住民であり,さらに行政などの協力もあって,成功へと導いている。村田町にとって,全国京都会議への加盟は観光開発の基盤を形成する大きな源となったといえる。
村田町では,2001年に「村田町新総合計画」を策定し,その柱の1つとして,蔵の町並みを活かした観光開発の強化をあげている。このように,蔵を活かした観光開発に重点を置いているものの,現在の蔵の保存状態は良いとは言い難い状況にある。それは,歴史的建築物や町並みなどの修復・保存に関する条例はなく,所有者が全面的に費用を負担するためである。従って,歴史的建造物や町並みの保存事業について検討していくことが今後の課題であろう。(2004/03/01掲載決定)
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